ご挨拶 |
日頃より当園のトマトをお買い上げ下さいまして誠にありがとうございます。
また、地域の皆様には日頃よりご支援、ご理解を賜り厚く御礼を申し上げます。
父母が50年以上に渡り時間と労力をかけてやってきたトマト栽培。
昔は今のように便利な機械など揃っていた筈もなく相当な苦労を重ねて作っていたことでしょう。
今ではスイッチポン!か若しくは放って置いても温度センサーで自動で閉まる天井を横引きするカーテンも換気口も4-50年前は「完全手動」=人力でした。
夕方カーテンを閉める母を手伝おうとロープにぶら下がりながら二層カーテンを閉めていた子供の頃のことをふと思い出します。
カーテンは昔はハウスの両端に1間に1本ずつローブが入っていてそのロープを少しずつ引きながら閉めていたんです。4-50メートルあるビニールを横に引っ張るのです。
それを朝晩繰り返すのは本当に大変な作業だったと思います。
一度には引けませんから少し引いては隣のロープを引き、また隣、また隣と行って端まで行ったらまた戻って引きと手袋をしていても手の平の皮が剥けるような大仕事でした。
よくあんなことを朝晩やったものだと思います。
カーテンに水が溜まっていてずぶ濡れになることもよくありました。
ハウスのビニールも当時は屋根全面に垂木を針金で止めた上に釘を2本仮打した「押縁」をトンカチでトントン叩いて打っていました。
屋根の張替えには組合員全員で手伝いに行ってました。
台風前には屋根を捲って飛ばされないように丸めてしまっていました。
今のハウスの屋根は進化してスプリングで簡単に張替えできるものが主流になり、中には20年以上、張替えの必要のないFクリーンという屋根材もあります。
私が小学生の頃は平石にしか共同選果場がなく、トラックを運転する父の横に座り片道1時間近くかけて出荷を手伝いに行ってました。大通りの交差点でコンテナが荷崩れして道路上に転がったトマトを必死で拾ったこともありました。
その頃はキュウリもやっていて深夜12時近くに父が箱詰めを終えたキュウリを出荷するのも眠い目を擦りながら手伝っていました。不思議なことに嫌だとはぜんぜん思ったことがなく帰りに露天の鯛焼きとか、ラーメンを食べて帰ってくるのが楽しみでもありました。
冬の夜になると深夜にハウスの温度低下を示す警報ベルが家中に鳴り響き、真っ暗闇の中、ハウスのボイラーの修理に向かう父母の姿を何度も見ました。
今では温度低下や異常高温が起きた場合、スマホのアプリにアラートが来ますが昔はそんなモノがあるはずも無く、有線で家の中に添えつけたベルが鳴り響きました。
ハウス毎にベルがあるので、どのハウスに不具合があるのかわかるようになっていました。
当時は連棟ハウスが3つあり、どのハウスかが設定温度より低くなると目覚まし時計なんかよりもっと大きな音がそこらじゅうに鳴り響くわけですからいったい何事かと近所の人も驚いたことでしょう。
ボイラー技術の向上により今では1シーズンにエラーは1回あるかないかですが、昔は故障やエラーは日常茶飯時だったようです。
父も母も殆ど寝る暇などなかったでしょう。
でもいつも家の中は母の笑い声があり、爺ちゃん婆ちゃんも元気で賑やかだった事を覚えています。
そうした中、平成2年に父がハウスの横で直売所を始め、それから30年あまり。
おかげさまでたくさんのお客様とのご縁に恵まれここまでやってくることができました。
元気だった母も数年前に病気で亡くなり、父も足が悪くなり、仕事をするのは困難なことから今は私とパートさんとでなんとか力を合わせて頑張っています。
農家は家族経営がほとんどを占めています。
本当は家族で力を合わせてやるのが一番だと思っています。しかし、1人だって知恵を絞ればなんとか出来ます。
昔やってたレストランもパートさんにエビの下処理やイカの皮むき、野菜の下拵え等、手伝ってもらいながらなんとかやってました。
細かい作業も丁寧に教えてあげればトマトのような経験の必要な複雑な仕事でもパートさんは戦力になると信じています。パートさんの個々のスキルアップが良質なトマト作りには必要不可欠です。
また、これからの農業、特に冬を越すトマトは燃料(重油)を大量に食います。
原油高や世界情勢で肥料も資材もどんどん値上がりする反面、加温して作るトマトの市場単価はそのような環境にぜんぜん見合っていません。
単価の高い良質なトマトを作るためには技術や勘だけでなくIT技術による省力化や見える化も必要だと痛感しています。
最後になりましたが、これからも皆様に愛される安全で美味しいトマトを作っていきたいと思っております。
どうぞ今後とも当園のトマトを宜しくお願いします。
園主経歴 |
10代~ 20代
東京青山の高級仏料理店に見習いとして入る。
修行後、主にオーナーシェフのレストランを手伝いつつ料理の勉強を続ける。
30代~
地元の東武百貨店にテナントとしてパスタと手作りケーキのレストランをオープン!
パティシェの経験を活かし、ケーキのネット販売を始める。対面販売とは反対の通販のお客様との交流の楽しさを知る。
パスタの美味しさを追求するうち、トマトの美味しさを改めて認識すると同時にトマトの可能性が底無しであることを知る。
40代半ば〜
実家で甘いトマトの作り方を模索する。
いろんな野菜を作りながら美味しい野菜を作るには「土」が大切なことを知る。
料理も奥が深いが農業は天候や環境に左右され一筋縄ではいかないことを身をもって痛感する。
特にトマトの「青枯れ」に何年も悩まされる。
50代〜
最新型の高軒高ハウスを増築し現在に至る。